
6月1日(土)に、アムステルダム
日本人学校にて第21回在
オランダ日本人合同運動会がありました。
この春からティルブルグの日本語補習校に通いだしている長女は初参加☆
朝早くからお弁当を包み、友人家族と乗り合わせてアムスまで。
オランダ全土から7校の学校が合同参加で行われるのですが、9時に集合となると
遠い南部のマーストリヒトからの方々は気の毒なくらいの早起きを強いられているはず。。。
そして
オランダ生活と天気予報は切っても切れない強固な関係ですが
この日の寒さはとても6月とは思えない非常な寒さでした。
天気予報より寒そうな感じに、急遽ダウンを着せて行きましたがこれが大正解~
それでもただでさえ、寒いのが嫌いな私は、ガタガタ震えながら見学。

大会スローガンは 「つかみとれ 勝ち負けよりも 大切なもの」。
立派な校舎にスローガンが垂れ幕に書かれて貼り付けてあります。
午前10時、開会式から始まって選手宣誓。 まるで日本です。
最初の競技は小学校1年生の玉入れ。無性~に懐かしかったです。
大玉転がしは小学校2年生。その間に違う学年による徒競走やリレーが入り、
学校別に違う色のTシャツを着て、赤組と白組に別れ点数を競います。


競技の合間にはこのような和太鼓とダンスのコラボもあります。
補習校ではなく、全日制の
日本人学校の皆さんならでは、でしょう。
相当練習を積まれたのではないでしょうか、全員の息がピッタリとあった演目でした。

来賓保護者の綱引きもあります。子供達は懸命に声援を送って、自分の組を応援!
未就学児用のかけっこもあり、ウチの次女も参加、ゴール付近にあるオヤツめがけて必死で走ってました♪
長女も玉入れや徒競走、大玉送りに参加。
ものすごく楽しんでいた様子に何よりだわ~、と嬉しく思いました。

この 「ローハイド」、初めて見たんですが、なかなか難しく楽しい競技でしたよ。
私達は赤組を応援しまくっていたんですが・・・午後は全くやられっぱなしでした。
なんといっても盛り上がるのはリレーですが、とにかくバトンの受け渡しが大切!
でも、
オランダ人学校では普段、リレー競技をすることがあまりないようで
バトンの受け渡しについて、ほとんど知らないケースが多いよう。
なので平日
オランダ人現地校に行っていて、週末補習校に行っている生徒達は
足はとても速いのに、肝心のバトンワークがうまく連携できなくて・・・というケースが
ドラマチックな展開を作っていました・・。

紅白リレーの後は、大玉送りが最後の競技です☆
赤組が勝算あり、で始まった運動会は、大きく差をあけられて白組の勝利!で終わりました。
優勝杯の授与もあり、何もかも初めての長女にはとても良い経験になったようです。
ちょっぴり残念だったのは、オットが長期出張中だったこと、かな。
きっとこんな日本的運動会って全く見たこともない筈なので、新鮮に思うはず。
ともあれ事故も怪我もなく無事終わり、その後は友人宅に集まってお話しながら
中華のデリでしばしリラックス夕飯タイム。
みんな朝早くから起きてお弁当作って色々準備して、と気が張った一日だったから
終わってホッとすると同時に、私は翌日のホームパーティーの準備が気になって
帰宅してからもゴソゴソと。。。
でもあまりにも疲れを感じ、準備は翌日に回して熱いお風呂に入って寝ることに。
次回はそのパーティーの様子をアップしますね☆
それではまた~!

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- 2013/06/10(月) 23:05:31|
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こんばんは♪ 週末もあっと言う間に終盤・・・
また新しい1週間の始まりですね。
ここ数日でようやくところどころ 「春」 を感じる時間が増えて嬉しい限り。
むか~し 「ぴっかぴかの1年生」 という CM がありましたが、
我が家の長女もこの4月より、
オランダでの日本語補習校に通い始めました。
そう、ピッカピカの1年生です☆
4月のはじめに入学式があり、なんとその前日に入学式当日は式のあと、授業がある、と知った私・・・
大慌てで当日早起きしてお弁当を作りましたが、
そう、今後は毎週土曜日お弁当作りと送り迎えの任務が始まったのです。。
学校までは車で約30km強30分。
本人はウッキウキで楽しく通っていますが、週に1度の授業なので宿題もた~んまり。^^

入学式当日はやっぱり記念の日だし、と家族で張り切って出かけましたが
なんとカメラのメモリカードを入れ忘れてた私・・・(涙)
親切な他のお母様方に助けて頂いて、幾つかお写真を頂戴しましたがかなり落ち込みました~。。。
で、このボケた写真はオットに写メで撮ってもらったものです。
学校は保護者達の多大なる協力にて運営されているので、
今後は
オランダボケした母業に喝を入れていかなければ・・・。
3週済んでお弁当作りや、宿題をさせるタイミングにはだいぶ慣れてきましたが
オットは 「もう4人揃って土曜日ランチを食べることは当分の間、ないんだね。。。今頃気が付いた。」
と愕然としてはりましたが、私はそんな感傷に浸る暇なし。
週休が1日になってしまった長女のフリータイムを有効に使って
宿題やお稽古は勿論ですが、お友達ともこれまで通り、たっくさん遊んで伸び伸びしていて欲しいものです。
ということで土曜日もボケーっとする訳にはいかなくなりましたが、
既にマンネリ化してきたお弁当のおかずをしっかり考えなきゃ。
また日本語補習校の様子なども時折アップしていきたいと思います。
それではまた!

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- 2013/04/21(日) 21:15:07|
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ここのところ、バイリンガルについてのお話をしていましたが
なんともタイムリーなことに、先日姪っ子から電話があり
「学校のリポートでバイリンガルの子供を持つ親にインタビューしなくちゃいけないんだけれど
協力してもらえる?」 とのこと。
勿論、快くOK~♪ で、昨日インタビューに来た彼女。
姪っ子、つまり我が娘たちとは従兄妹になる訳ですがもう19歳。
複数いる義妹の長女です。
大学2年生で青春まっただ中の彼女は一昨日、運転免許試験に合格したばかりで
昨日は父親に連れられてやってきました♪
世間話もそこそこに、さっそく始まったインタビューは
かなり細かい項目に別れていました。
例えば
・母親(私)の出身国、母語、いつから
オランダに住んでいるか
・父親(夫)同じく出身国、母語
・母親の両親の出身国、母語。
・父親(夫) 同じく
・家庭内・主な稼ぎは誰が担っているか。
・主に子供の面倒は誰が担っているか。
・就学前の子供の状況。保育園に行っていたか、家にいたか。その時の言葉は何語だったか。
・母親は何語で話しかけているか。
・父親は何語で話しかけているか。
・父親と母親 (私達夫婦) は何語で会話しているか。
・食事の場面での
オランダ語日本語の使用比率は。
・姉妹で遊ぶ時は何語で遊んでいるか。
・子供達の日本語の能力 ・聞き取り ・読み ・書き ・話す
・子供達の
オランダ語の能力 ・聞き取り ・読み ・書き ・話す
・親の日本語の能力 ・聞き取り ・読み ・書き ・話す
・親の
オランダ語の能力 ・聞き取り ・読み ・書き ・話す
・3か国語目は何語になるか
・3か国語目になるような言葉を理解し始めているか
・子供達が友達と遊ぶ時は何語で遊んでいるか。
・子供が知らない言葉で話しかけられた時は、何語で問い返しているか。
・家での遊びかた (例:工作、パズル、読書、音楽、外遊び、お人形ごっこ、おままごと)
・日本語の歌を歌いかけるか。
・日本語の本を読んであげているか。その頻度は。どんなタイプの本か。
・・・・・
などなど、ひたすら続きました~。
改めて聞かれると、思わず回答に詰まることもありましたが
客観的に我が家の状況を俯瞰することが出来て、なかなか興味深かったです。
だからって・・・何か結論を出すようなインタビューではなかったのですが
彼女はこれを土台にリポートを作り提出。
後2年の学生生活を終えると
スピーチセラピストになるそうです。

その
スピーチセラピストってなんだか興味深いなあ~と思い
どんな就職先があるの、と聞くと、主に病院勤めや、自分で独立も出来る、とのこと。
思わず、「私の
オランダ語のセラピストになって欲しいものだわ~。」 と懇願。
あはは~、ホントだ!と笑ってましたが、例えば事故や病気でうまく喋れない(機能的に)人への
訓練なども挙げられるそう。
まだ19歳。運転免許取ったばかり。
将来の夢を見据えて、若さにはち切れそうな彼女の質問に答えながら
なんだかとても元気になれたインタビューでしたよ♪
いずれリポートの結果をフィードバックをしてくれるかな~、なんて期待している私です☆
長らく韓国&日本出張が続いている夫ですが、今日は我が実家を訪れ夕飯を皆でワイワイと楽しんでました。
娘たちは私の実家の母と電話で話した後、パパに代わり
「ずーるーいーーーー!」 とすぐにでも日本に行きたい様子。
それを言うなら私でしょーー!と言いたいところでしたが・・・
オットには、忙しいところ実家に顔を出してくれてありがとう、と言いたいし、
実家の父母たちにはオットを迎えてくれてありがとう、と言いたいし、
羨ましいながらも2重のありがとうですね。
ということで、もうあっと言う間に週末です。
一気に寒くなる
オランダですが皆さまもどうぞお気をつけて楽しい週末をお過ごしくださいね。
それではまた~!

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- 2012/10/26(金) 23:15:29|
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(長女の絵 2012夏)こんにちは~♪
オランダ南部は秋バカンスも中盤にを過ぎました☆
1週間、子供達二人をどのように遊ばせようか、と頭を悩ませている間に
毎日予定が埋まり、あっと言う間にもうあと数日です。
さて
前回の記事 で子供達の日本語教育について、少し述べましたが今日はその続編です♪
続編とは言っても、そもそも
オランダで子供を産みながら
頑なに日本語のみで子供達に接するようになったきっかけについて話してみようと思います。
そう、バイリンガルというとなんだか聞こえだけは一丁前だけれどその始まりは・・・
私のホームシックでした。^^
高齢出産で長女を産み、妊娠中も出産も産後も有難いことにトラブルはなかったのですが
産後しばらくして涙が止まらない時期が続きました。
出産前から来てくれていた実家の母も産後2週間を過ぎた頃、日本へ帰って行きました。
子供をあやしながら思い出すのは小さい頃の楽しい思い出ばかり。
日本の両親や妹弟、親戚の顔が次から次へと浮かんで
会いたくて会いたくてたまらなくなるのです。
その上、口をついて出てくる歌は当たり前ですが日本の童謡ばかり。
(当時、
こんな記事 も書いてましたね。)
そしてそんな童謡を共有できるオットではないという現実に今更ながら気づいたとき・・・
家族・親戚が恋しくて、日本の歌や言葉が恋しくて、号泣の始まり~
オットの実家に行き義父母とお茶を飲んでいると、隣宅に住む娘 (義妹) や
同じ村に住む別の娘 (義妹) もやってきます。
皆でワイワイと楽しいひと時を過ごしていながら
家族が皆、近くにいるということが羨ましくて涙、涙・・・
かなり自分でも驚きましたがしばらくそんな状態が続きました。
その時は
オランダに住み始めて1年半が過ぎていましたが、日本人のお友達が一人もいませんでした。
日本語を全く話さない日常だったのです。
今、思えば、赤ちゃんのお世話などに関しても同じ言語で共有できる友人がいない、ということも
関係あったのだろうな~、と思いますが
有難いことに産後3か月くらいして日本人のママさん友達が出来ました♪
日本語で会話できるありがたみ。
電話を取ったら日本語が聞こえてくる嬉しい驚き!
あの喜びは今でもハッキリと覚えているくらいです。^^
(次女の絵 2012夏)そんな強烈なホームシックは、日本語の歌を娘と一緒に楽しめないのは嫌だ、
将来、自分の娘が自分の親や妹弟と会話ができないのは悲し過ぎる、
日本の言葉のもつニュアンスや、日本語の文章を味わえないのはこれまた悲し過ぎる、といった
感情を肯定することに直結。
子供と過ごす時間が一番長い私が、せめてきちんとした日本語を話すようにしよう、と
固く決意することになったわけです。
ちょうど子供の検診などに連れていく機関の先生にも
「私は日本語でのみ、子供に話しかけています。」 と何気ない会話の中で話した時に
「バイリンガル教育には、親がそれぞれの母国語でのみ話しかけるのが一番大切よ。
一人の親がある時は日本語、ある時は英語、ある時は
オランダ語で話しかけると
子供は混乱してしまうの。一人の親は一言語がとても大切。
3か国語目の言語 (この場合、英語) は7歳以降からの方が子供にも負担がなく良いですよ。」 と
アドバイス頂きました。
つまり発端はホームシックだったのですね~。
家族、友人に対するホームシックと共に、日本語という言語に対するホームシックがこんなにあるんだ、と
自覚したのもこの時が初めて。
以前、イギリスに1年滞在した時にはホームシックの 「ホ」 の字もありませんでしたから
束の間の海外住まい、と もしかしたら死ぬまで海外住まい、との状況の違い、腹のくくり方の違いも
相当影響しているのは否めませんし
もともとのバイリンガルである友人達はまた私とは全然違う感覚を持っていることと思いますが
私にはこの当時の自分の感情に、しっくり来たのが日本語会話だったのです。
(長女 2012秋)でも1年のちには、自分の実感として
日本語は出来るに越したことないけれど、
どの言語も中途半端になって深い思考が出来ない人間になるのが一番不幸だな~
何語でもいい、第一言語をしっかり習得するのが最も大切。
でも私は日本語でしか話さないけどね。というスタンスに変わりました。
なので、何が何でもバイリンガル教育を、とは思っておらず
子供が日本語に興味があるなら、それをうまく誘導できるようにしてみよう、と思っています。
毎日寝る前の本読みは私のお仕事ですが、時折、長女は私に
オランダ語の本を読んでくれます。
「ちょっとこれ
オランダ語だから、ママにはむずかしいでしょう。」 って。
読めるんだけどーーー!と思いながら喜んで読んでもらっている母です。
そして次女には日本語の本を読んであげている長女。
時折意味不明ですが、ま、いいか。 読んであげよう、というその行為が大切だということにしています。
今は、日本語・オランダ語と自動的に切り替わる子供達ですが
これから先どうなっていくのでしょう。
また時折気になることやリポートなどあればアップしていこうと思います。
それではまた☆

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- 2012/10/18(木) 10:30:30|
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おはようございます♪
今日も快晴のオランダ、青空がとっても気持ちいいヒンヤリとした朝です。
長女の5歳のお誕生日の時、プレゼントに沿えて渡したのがこの薄っぺらいノート。
字や絵を描くのが大好きな長女と交換日記をしよう~、と渡してみました。
それから早1年半・・・☆
最初の頃、娘に何かを書いて渡すとものすごく喜んで
すぐにお返事を書いてくれました。
そしてその場で 「今すぐおへんじをかいて!」 と強要されすぐ書く羽目に。
書いて渡すと、またすぐに返事を書き私に渡す長女。
勿論、すぐに返事をもらうつもりでずーーーっと待っています。
いくら 「交換日記だからすぐに返事を書く必要はないんだよ。」
「またあした渡すね。」 と言っても嫌がり、
そのうち日記の応酬に疲れた私は、フェードアウト・・・・
数か月してまたハタ!と再開し、またフェードアウト・・・・と
なんとも途切れ途切れの交換日記。><
日記を書いていない間に、娘からもらったお手紙ももう幾つ溜まっただろう~。
大抵は私に叱られた後に 「もうにどとしないわ、ごめんなさい。」 とか
「もうおこってない?」 とか
「やくそくする、ぜたい。」とか
そんなものがほとんどだけれど、いつも可愛い絵と一緒に便箋に入れてくれる。
思えば長女が生まれた時から、ピンク色の布表紙の小型ノートに毎日の様子を書き留めてきたものでした。
授乳が終わってからは途切れ途切れになり、、、
次女が生まれてまた同じシリーズのノートを買って毎日の様子を書き留めて、
そしてやはり長女よりも早くに途切れ始め、、、><(ごめんね。。。)
爆笑した一言や、リアクションや、忘れないように覚えていたつもりの出来事が
すっかり記憶の彼方に飛んで行ってたり・・・
ピンクのノートではなく、自分のスケジュール帳に書き留めてたり・・・
記録がいい加減だったことをとっても後悔しています。
なので、今日はまた交換日記の再開を記念してブログにも記しておきました。
今は日記の意味も分かる長女なので、応酬ではなくそれなりのテンポで
上手にやっていけるでしょう~。
何でも真似したい次女は、もう必死で読解不能な文字を書きまくって
渡してくれますが・・・そのうち彼女とも出来るのが楽しみです。
さて、子供との日記は日本語です。
オランダで義務教育を受ける以上、勿論オランダ語がメインになるだろうし
基本的にそれでいいと思っています。
それでいい、というのは何語であっても思考の基本となる言語はひとつきっちりすべき、という意味で
言語というのは全ての基本だという自分の考えから、日本語でもオランダ語でも英語でも
何でもいいから物事を深く考える人になって欲しい、と思っているからです。
でも、彼女たちが生まれた時から私は頑なに日本語でしか話しかけません。^^
周りから見たら少々??な場面であっても、「私は彼女たちとは日本語を話す人」 として
子供達に認識して欲しいので、例えば義母などの前では若干申し訳ないな、、と思いながらも
一貫してそのやり方で来ています。
今、彼女たちは人を見て 「オランダ語」 「日本語」 と瞬時に切り替わり
時折、韓国人相手に 「日本語」 で話しかけて通じないことにショックを受けたりもしているようですが
外見が言語手段の大きなポイントなんですね~。面白い~、というか羨ましい!!
来年4月になれば長女もこちらの日本語補習校に行く予定です~。
近々その日本語補習校のオープンデイがあるらしいので
なんとか参加したいなあ~、とスケジュールを調整中。
またそんな様子もアップしますね☆
それではまた!

テーマ:オランダなヒビ - ジャンル:海外情報
- 2012/10/10(水) 10:30:41|
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